ブドウ栽培に灌漑設備は必要か?
子供の時分、イタリアからほど近いスイスのヴァレー州やヴォー州へ旅をした。美しい農地の景観と静寂を、いくぶん長い旅路の中で楽しみながら、曽祖父ルイジがアスティからアルプスを超えジュネーブまで辿って来たという道のりに思いを馳せたものだ。19世紀の終わり頃、曽祖父は時計の様々な部品をジュネーブで集め、欠けて使えなくなった象牙のビリヤードボールをもとに足踏み式の旋盤でケースをくり抜き、懐中時計を作っていたのだった。
洗練された職人仕事による一点ものの時計づくりは、アスティの丘陵で農業を営み暮らしていた我が家の新たな収益源となったのであった。
当時は小麦やワインを作り、果物や野菜を栽培し牧畜もおこなっていたが、それに加えて時計づくりが農閑期の収入源の1つに加わったのだ。
あれこれと思い出したのは、去る7月にエマニュエル エストペイ氏からスイスへの招待を受けたからだった。稀にみる美しさを誇る庭園のようなラヴォーとヴァレー州のブドウ畑。美味しいワインの産まれるところは神々しいほどに美しく、文化が育まれ物語が生まれるということを改めて感じたのだった。
ヴァレーで私があまり喜べなかったのはブドウ畑の灌漑センターの視察だった。先進の技術を事細かに説明して頂いたものの、正直言ってあまり関心が持てず、最後の方は招待グループを離れてブドウ畑を見に行ってしまった。
そこでは部分的にぶどう畑にもドリップイリゲーション(点滴灌漑)設備が設置されてあったのだが、それを見てブドウと他の作物の灌漑設備の利用について思いを巡らせた。
第一に米のような貴重な作物を栽培するための水利用とその価値は計り知れず、そのためにイタリアでは1863年から3年を費やして我が国の水理工学の粋を集めたカヴール運河(全長85km, 水量毎秒100㎥)が建造された。
おかげでイタリアはヨーロッパ1のコメ生産国となり、運河の通るピエモンテとロンバルディア州には国内の水田の90%に当たる217万ヘクタールが集中している。灌漑用水は年々その確保が難しくなっており、カリフォルニア州でさえも水量とトマトやビート、トウモロコシなどに使われる用途が取り沙汰されるほどで、その理由はとりもなおさず水資源の節約と生産コストの削減である。
イタリアではわずか十数年の間にプーリアやシチリア州を中心にいくつかの州で灌漑設備の導入が広がっている。ワイン用ブドウの水使用量は一ヘクタールあたり約1000㎥、生食用ブドウでは優にその倍が必要だ。
灌漑用水用の井戸を掘る費用は1メートルあたり約100ユーロと言われるが井戸の深さは300メートルから深いものでは600メートルを超える。
これらすべてが意味すること、それはもはや我々が知っているブドウづくりではないということだ。仕立てを変え、栽培方法を変え、機械収穫も含め行き過ぎた機械化の目的はすべて簡素化で、灌漑設備の導入によって収量は確保されブドウ栽培上のリスクを抑えることに成功したのだった。
この生産モデルは地中海諸国のような長いぶどう栽培の歴史を持たない国々、例えばアルゼンチンやチリ、オーストラリアやニュージーランド、南アフリカや米国などで広く導入されている。これらの国々では灌漑ありきでブドウ生産が行われており、そこで作られるワインは、本来他の作物に振り分けられるべき貴重な資源である水が不適切に使われた末に生まれたものだ。原産地の特徴など微塵もない、灌漑の水で薄められたような「飲み物」がワインと呼ばれ、時には悲しいほどの安値で売られ世界を席巻している。
私は次の点からブドウ栽培に灌漑設備が必要ないと考える。
- ワインとは生活必需品ではないのだから他の農作物のようにコモディティー化させてならない。ワインとは原産地に自然にある資源を基にして生まれるからこそ、産地特有の特徴がワインに現れる。これがワインの本当の価値なのだ。
- ワイン用ブドウのVitis vinifera sativaは非常に乾燥に強いため支線をつけないゴブレ(株仕立て)が最良の方法である。自然と最良のバランスが出来上がるため乾燥している環境に最も向いている。とりわけポリフェノール類はじめ、多くの物質が生成され、より質の高い、病気に強いぶどうとなり、ワインの品質も大きく向上する。軽視してはならない重要な点だが、ゴブレに剪定することでブドウの裂傷を抑え木部自体の病気を防ぐことも出来る。こうすることで実をつける期間が長くなることも期待でき、手入れのやり方次第で樹齢は100年以上にも達する。
- 収量を上げるために機械化と灌漑設備を導入している畑はその多くが垣根仕立てを採用しているが、この方法では老化が早く樹齢はせいぜい20-25年ほどと短くなる。機械化と灌漑を導入している畑は大規模なところが多いが、土壌の硬化や有機物の消失、毛細管現象の低下による水分の減少等により土壌が劣化しブドウ(木部)の機能低下につながる。貴重な資源の浪費が始まってはもう元に戻すことはできない。生産コストだけを考えていてはいけないのだ。
農業での水の大切さを今一度深く考え直し、農業生産での水利用は理性的に行われなければならない。ワインづくりにおいてはコスト削減と利益アップだけが最終目標なのではなない。森林や牧草地などの動植物の生息地の消失も含め、より広範な問題が生み出されていることに注意を向けるべきである。
先人たちのブドウづくりに対する態度や、それにならった栽培方法を振り返って考え、土壌や水、有機物など貴重な資源を大切に使うことがワインというかけがえの無い産物を正しく育んでいく上で大切な土台となる。
ワインがこれ以上にありきたりで、魂も物語もない作り物になって欲しくない。なぜならワインとは本来、喜び、驚きであり感動の源なのだから。
(日本語訳 川村武彦)
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