新品種開発の必要性を考える
新品種開発の必要性を考える
1960年代終わり頃のこと。研究者生活を始めたばかりの私は、穀類の遺伝子改良に携わる機会に恵まれた。というのも、偶然にも卒業論文作成にあたり何種類かのトウモロコシの系統を植え、特性や、生産性はもちろんのこと、生物季節学の考察を行ったからだった。研究所はピアチェンツァとモンタナーゾロンバルドの2カ所にあったが、フリウリを始め、他の地域の栽培試験場へ定期的な出張も行なっていた。
イタリアでの植物遺伝子の改良研究のパイオニアはナザレーノスタンペッリ教授で、穀物の品種改良に大きく貢献した。スタンぺッリ研究室にいたアンジェロビアンキ教授は、米国のバーバラマクリントック博士の研究所へ留学したのち、トウモロコシの遺伝子改良の基礎をイタリアに持ち帰った。ビアンキ教授の植物遺伝子に関する革新的な講義録は今でも宝物だ。
こうしていくつかの研究者グループが形成され、その中にはアメリカで学び、中心的研究者となったフランチェスコサラミーニ氏などがいた。トウモロコシを筆頭に遺伝子改良が熱心に研究され始めた新しい時代の幕開けとなり、その対象は、小麦、大麦、燕麦(えんばく)、蕎麦、野菜へと広がった。ジャンピエロソレッシ氏、バジリオボルギ氏、ミケーレスタンカ氏、トンマーゾマッジョーレ氏、ナターレディフォンゾ氏、ミリアムオドアルディ氏、エウジェニオジェンティネッタ氏など多くの研究者が素晴らしい研究成果をあげた。私はモンタナーゾロンバルド研究所でミリアムオドアルディ氏が行った最初のタンパク質の電気泳動実験にも立ち会うことができた。この研究を指揮したサラミーニ教授は、その後多くの野菜で遺伝子改良を手がけ、世界的権威となった。
イタリアはトウモロコシを始め草本植物研究の大きな変革期を迎え、それは同時にこの植物と栽培者の運命を決定づけるものとなった。研究チーム全体に「未来の研究」に携わる喜びと情熱が広がっていた。
ワイン産地であるアスティ生まれの私は、父の作ったバルベーラを仲間にも振舞っていた。研究所の中でひときわ明るいバジリオは大声で
「品種改良でバローロをサハラ砂漠でも作れるようになるぞ」と皮肉交じりに言いつつ、父のワインを心から堪能していた。
その後、思いもよらぬことに合格者6人のうち5番目という成績で、なんとかCNR(国立研究所)の奨学生となり、英国、ケンブリッジのPBI研究所で1年ほど学んだ。ロイジョンソン氏やピータースコット氏、マーティンウルフ氏など忘れ得ぬ講師とともに、小麦と燕麦(エンバク)の病気への耐性についてとことん研究した。その間、人生経験においても感謝しきれないほどの有意義な時間を過ごすことができた。
3年後、小麦と大麦の研究を終え、コーネリアーノヴェネトのブドウ栽培試験場へ入った。それまで最新の研究機関で働いてきた私は、こちらの研究所のいささか遅れた状況に最初戸惑った。
ちょうどその環境にも馴れ始めたころ、トウモロコシについての論文指導教官だったアントニオカロ教授とカルロロレンツォーニ教授との会話から産まれたアイディアを思い出した。それはヴィティスヴィニフェラサティーヴァの倍数化を、遺伝的側面から研究するというものだった。こうして私の研究対象は草本植物を離れ、木本植物へと移ったのだった。その後も遺伝子改良の研究者仲間たちとの連絡は途切れることはなかった。
ゲイルヴェイラーホフ研究所での私のブドウの遺伝学研究は、アッティリオシエンツァ氏の助けもあり大きく進めることができた。研究所の所長はアレヴェルド教授で、研究チーム総出でピエモンテまで来てもらったこともあった。
教授は、ベト病とウドン粉病に耐性をもつブドウを生み出した交配技術を、長年の研究の末に生み出した先代の研究者たちから受け継いでいた。真面目で几帳面なドイツ人だからこそ出来たこの研究は、1900年初頭から主にリースリングを対象に始められ、素晴らしい成果を出してはいたが、栽培地独自の特徴をもったリースリングにこだわりを持つ生産者たちの関心は薄かった。ワインとしての評価も、リースリング本来の味から遠く、改良品種はついに日の目をみることは無かった。
色々と思い出を語ってきたが、トランスポゾンからDNAの二重らせん構造の発見、エピゲノム制御、優生学、遺伝子治療、遺伝子組換え生物やゲノム編集など、遺伝学における画期的な発見をわずか50年の間で垣間見ることができた。
ぶどう栽培と病気への耐性をもつ新しい品種に関してだが、ルイジババレスコ氏の「病気に強い新しい品種」(L’Enologo誌2017年10月10日発表)という論文が興味深い。さらにアルトアディジェのサンミケーレ研究所のエドモンドマッハ財団が、ごく最近ベト病(Plasmopara viticola)の遺伝情報を解読したことがサイエンティフィックレポート誌で発表されている。
ワイン用であるVitis Vinifera(ヴィティスヴィニフェラ)だけを見ると、ほんの数年前まで遺伝子組み換えの対象ではなかったが、今日ではベト病やウドン粉病など、主要な病気への耐性を備えた品種の開発が急ピッチで進められている。ヨーロッパでこの研究を行い、成果を出しているのは、病気の発生頻度が高い国や北方に位置する国々だ。統計によると、ヨーロッパではブドウ畑が農地に占める割合はわずか3.2%、350万ヘクタール足らずだが、殺菌剤の全使用量の65%までもがぶどう畑で使用され、危険性の高いものも含まれる。このような事情からも、病気に耐性のある品種の開発が進められているのだ。
新品種の開発は果たして本当に必要なのだろうか。異なった観点から考えてみたい。
- ヨーロッパ、特にイタリアでは、病気の発生度合いは地域によって異なる。絶えず病気が出るような地域でも、ぶどう内部に深く浸透する農薬のおかげで栽培面積は拡大し、広がり続けてさえいる。今やいたる所にぶどうが植えられ、栽培に適した場所かどうか、地域に根付いた品種かどうか、周辺環境との調和を保ちながら栽培が可能かどうかといったことは一切考慮されることはない。誰も言わないがフィロキセラの時にブドウを生きながらえさせた銅に、ノーベル賞並なみの賞を贈呈したい。銅がなかったら今のワイン造りは存在しないからだ。ちなみに、栽培に適した土地において、地力を浪費しない持続可能な栽培をしていれば、適量の銅は、土中の豊かな有機複合体とバクテリアのフローラによって消化されるため、土壌汚染を引き起こすことはない。
- 利益優先で、トウモロコシや牧草地に適したような肥沃な土地、つまり農薬なしではブドウ栽培ができない土地に畑を作ることは間違っている。
- ワインづくりには絶対的で画一化された方法などないが、農薬頼みで簡単・確実な利益を目指したワインで市場は溢れかえっている。どうやってできても「ワイン」と呼ばれるこの混乱を、なんとか抑えなければならない。
- 地域によってそれぞれのブドウづくりがあり、その結果、多様なワインが生み出されている。この多様性こそ守るべき貴重な財産である。ワインの味だけを表面的にみるのではなく、地域の個性をまったく反映しないワインと、ブドウづくりの全ての過程で、自然にも人にも負荷をかけず、資源を浪費しない持続可能な農業から生まれたワインとをしっかりと区別することが大切だ。
- イタリアをはじめヨーロッパの銘醸地と言われるエリアで、素晴らしい微気候があるため歴史的にブドウ栽培が行われてきた場所と、後年利益追及のために追加、拡大された周辺の生産エリアをしっかりと線引きし、産地を限定しなおすことが必要だ。
- 二酸化炭素排出量と農薬の散布量、土壌の質、そして非常に重要なことだが、栽培者のかかる病気の発生状況が一目でわかる地図を作ることも大切だ。
以上のように、病気に強いブドウ品種の開発では問題の解決にはならず、ワイン経済を間違った方向へ導くことにもつながる。栽培に不向きな環境に畑を作ることは、経済的にはもちろん、ワインの根幹をなす価値の破壊でもある。
その価値とはどういったものか:
- 栽培環境はブドウに適したものであること
- 伝統的なぶどう栽培地であること
- 栽培地独自の個性を持った品種であること
- 畑と周りの自然が織りなす、美しい景観が保たれていること
- ぶどうとワインづくりが成熟させた文化が残っていること
- ぶどう栽培とワインづくりだけではなく、それに関連した地域の職人技も残っていること
- ぶどう作りからワインづくりまで、効果の見えるかたちで環境が保護されていること
これら全てがワインの価値を構成しているのだ。
関連した話で、私が立役者だというつもりは毛頭ないがプロセッコのことをお話しよう。
このワインが今のように売れ出す前のこと、イタリア醸造家協会会長でプロセッコ協会の評議員だったナルチゾザンケッタ氏にイタリアブドウ-ワインアカデミーの会合の際に、あるアドバイスをした。それは「プロセッコ」という名前を特定の地域か地名と関連づけること、そして品種名も「プロセッコ」から別名の「グレラ」に変えるというものだった。そのままでは、他の地域、あるいは他の国でさえも「プロセッコ」と言う名のワインを作ることが可能となってしまうからだった。
その後プロセッコの生産エリアは、フリウリ―ヴェネツィア―ジュリア州のプロセッコ村を含むほど、際限なく拡大した。現在プロセッコは年平均4億4千万本販売されている。毎日100万本以上が消費されている計算だ。
独創的なヴェネトの人だけで実現できたはずの計画は、その一歩手前で実現できず、ベネト州に生産エリアを制限するべきものが、フリウリ―ヴェネツィア―ジュリア州まで拡大してしまった。栽培好適地の重要性、原産地の意味、産地独自の職人技といったものが全てないがしろにされ、利益を得たのは工業ワインの世界だけとなった。その結果として、看過できないほどの周辺環境の破壊と、そこに暮らす人々への汚染を広げる事こととなった。
栽培に適した土地で、質の高いブドウ栽培するために必要なことは、次の通りだ:
- 我々の先人が大変な苦労をして残してくれたように、ブドウの樹齢が長くなるような栽培を心がけ、次世代にも残る畑を自分たちでもつくること。今のように20年で植え替えせざるをえないような状況は、間違っている。新たに国立ぶどう栽培研究所の所長となった、私の友人リッカルドヴェラスコ氏に
「なぜ剪定後の傷口(瘢痕)に耐性を持つぶどうの遺伝子改良をしないんだ?もしこれが出来たら、つる植物のぶどうが木に変わるほど長生きできる。大発見だぞ!」
と冗談で言ったことがあった。分子遺伝学を専攻した優秀な科学者であるリッカルドの返事は、「分かってるくせに(それは無理だよ)」と言わんばかりに、微笑みながら私の肩を叩いただけだった。
ぶどうの種苗業者は、認証付きのしっかりとした苗木を供給するものの、そのほぼ全てはクローン選別から生まれるため非常に弱く、サーモセラピーでさらに弱体化しており、これを植えたところで寿命の長い畑を期待することはできない。クローンの苗木を植えることは、定期的に植え替えをするためにするようなもので、栽培者にとって何の利点もない。この状況はワイン産業界全体に大きな損害を与え続けるだけだが、誰も現状を変えようとはしていないようだ。
- ぶどう栽培で最も基本的なことは、宅地に法規制があるように、ブドウの植樹場所に関しても規定を定めることだ。そもそも、ぶどう栽培に向いていない土地に、病気に耐性を持つぶどうを植えたところで、歴史的にぶどうが栽培され、条件の良い地域で作られるワインとは比べるべくもないのだ。今まで考慮されることはなかったが、今後国レベルでの真剣な検討が求められる。イタリアは長いぶどう栽培の歴史を持つ国の一つであることを忘れてはならない。ワインはタンパク質や炭水化物のように、人間の体に必要不可欠なものではない。だからこそ、ワイン作りにおいてはより高いモラルが必要だ。
結論として、ワインづくりの将来のためには長期的視点での判断が必要だ。
遺伝子改良によって、病気に耐性をもった品種は今後も作られ続けるであろうが、その安定性については未知数だ。すでに植物性の防除剤が病気に有効であることが実証されている中、この分野の研究にも適切な投資をすべきときである。環境保護の観点からも、より効果的で安全かつ簡単なはずだ。さらに倫理問題も生じてくる。実際、遺伝子改良された品種を使うのにロイヤリティーの支払いが課せられ、農業経営者が種苗会社に隷属することも懸念される。
イタリアのぶどう栽培地域には、少なくとも二つの、全く正反対の選択肢が残されている。
一つは、肥沃で大規模な病害も起きるような、ぶどう栽培に不適な地域での、大規模栽培による個性のない画一的なワインを作る道。そこでは間違いなく遺伝子組み換えブドウが注目を浴びるだろう。
もう一つはぶどう栽培に好適で、歴史的に栽培が行われ、病気の発生率も低く、防除もしやすい土地でのぶどう栽培。その土地で伝統的に栽培された品種を使い、独自の個性をもったワインを作る道だ。「産地独自の個性」という、ワインになくてはならない価値をもったワインとなる。
流行りの国際品種が世界のいたる所で栽培され、個性のないワインが溢れている。
今こそイタリア原産品種というかけがえのない財産を見直す時ではないか。その多くはこの国の気候風土に馴染み、国際品種に比べて病気への強い耐性も備えている。
流行りの味ではなく、長期的な視点からワインの本質を追い求めようではないか。
ロレンツォ コリーノ
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