ワイン

自然なワインについて思う事(後半): 収穫について

29 10月 2015

ブドウの収穫をイタリア語では vendemmia(ヴェンデンミア)と呼ぶ。ラテン 語の VINDIMIA に由来し、ブドウ以外の収穫だけに使われる特別な言葉だ。 この言葉には他にも繁栄や恵みなどの意味合いも含まれ、時にはこの言葉が 笑顔をもたらす。文学や絵画、芸術作品のモチーフとしてどれだけ多く使わ れてきたかを見れば少なからざる魅力を秘めた言葉であることがわかるだろ う。

収穫とは希望と時として絶望をも内に秘めたブドウづくりの最終段階であ り、そこから人智を超えた自然の多様さを知り、辛抱強くあることの大切さ を学ぶ。自然なワインを作るにあたって、収穫とはそれ以降はどうすること も出来なくなる瞬間でもある。ワイン作りにおいては生産者の力添えはあろ うとも、収穫後は何も変えることが出来ず、全てが自然のプロセス(酵母、 バクテリア、生化学反応)に委ねられるからである。

収穫の終わった畑
 まだ幼い頃の事、4, 5 歳頃の事だったであろうか、家に集まった大人たちが よく収穫の事を話していたものだ。それもとりわけ難しかった年について, ほとんど絶望的にさえなりながら、収穫時の雨で何一つ出来なかった時の事 など、どれだけ多く語り合っていた事か、今でもはっきりと覚えている。男 たちはぶ厚い麻袋を頭から被って収穫に出かけて行った。土砂降りの中、雨 水がちゃんと排水されている事を確めに、鍬をたずさえて出て行ったのと同 じ格好だった。収穫はみな押し黙って、辛抱強く雨の合間を縫って行われて いた。温かな暖炉にあたり、しばしの休憩をしに家に戻ってくることもあっ たが、そうしているうちに霧がブドウの皮と我々の希望をも打ち破る事もあ った。今でも鮮明な収穫の記憶は私の成長を助け、人生には我慢強さと根気 強さが必要である事を学んだ。このような厳しい条件下での収穫は一定の周 期で起こるものだ。だからこそ農業機器や化学肥料、灌漑設備などブドウに 向かない土地でも栽培を可能とする技術が導入される以前は、ぶどうに向く 土地自体が限られているので、畑作りにあたってはその規模についても考え ながら、土地に合った品種を選んで栽培する事がとても重要だったのだ。

収穫は高度な技術を要する作業であり、収穫次第でワインの質が大きく変わ る。そのために長い年月をかけての畑づくりが必要なのであり、気候的に難 しい状況を乗り越えるにも畑作りが最も重要な作業となる。最高の収穫は小 規模の畑だけで実現され、大規模な畑ではまともな収穫など望むべくもな い。収穫はとても重要な作業だ。従って、収穫する人にどのように収穫すべ きなのか実際に例を見せて説明し教える事がとても大切となる。収穫作業を 共にし、何が難しいのか、作業に不明の点がないかなど理解した上で、年ご とに変わる状況に合わせ、その年に必要な作業を教えなければならない。収 穫中にもそれぞれの仕事ぶりを確認する事も必要だ。自然なワインについて 話す以前に収穫ありきなのだ。厳しく選別しながら収穫する事で当然収量は 安定せず、また質的な安定も望めない。年によっては収穫さえ出来ない事も 忘れてはならないが、本当に素晴らしい収穫ができる年もある。

収穫間際のバルベーラ
収穫方法を教える
 1977 年はブドウの ”収穫” と “取り入れ” とにはっきり分かれた年でと りわけピエモンテのモスカートビアンコでその状況が顕著だった。日照不足 で雨が降り続く難しい気候の年だった。私にとってはブドウの収穫がどのよ うに「全量取り入れ作業」と化すのかを目の当たりにした初めての年となっ たが、そのようなブドウでもワイナリ-で加工処理されどうにかワインとな った。

その後ワイン業界は三つの道に分かれて進む事となった。1つはより厳しく 選別し収穫する道。2つ目は機械収穫に頼る道、3つ目は選別なしで取り入 れだけをする道。

プロカニコ 必見の色

工業ワインの世界であっても収穫の難しさは同じであるはずだが、法規制の 改正によりマストやワインの加工処理、添加物使用などを認めさせこの問題 をクリアしてきた。そうしてリスクを回避し安定した生産と収入を確保して いるのだ。

一方、自然なワインづくりではそうは行かない。自然なワインを􏰀るにふさ わしいブドウは、誰にでもどこででも作れるというものではない。自然なワ インには苦労して出来た特別なぶどうから生まれるからこそ他にはない大き な価値があるのである。

ロレンツォ
コリーノ
(訳 川村武彦)

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