ブドウ栽培 - ワイン - 農業環境

イタリアだけが持つアドバンテージ

31 12月 2014

 イタリア半島でのぶどう栽培の歴史は深く,この国の古名であるEnotria Tellusとは真ん中に木もしくは 支柱を据え、その周りの三点にブドウを植えていたことがその語源だ。シラクーザの壺、パダーノ平原の遺構などワインに関する遺跡は数多くあり、エトルリアの遺跡からは彼らの宗教儀礼やワインとぶどう 栽培に対する考えを知ることが出来る。エトルリア人はワインの輸出までしており、それはブルゴーニュ地方で出土したアンフォラからも明らかだ。その他、紀元一世紀の著述家コルメッラはぶどうの植樹場所と栽培方法について驚くべき記録を残し、大プリニウスはその著書「博物誌」の中で現在ナルボンヌのあるローヌ河口域がフランス随一のワイン産地として記録している。                 古代ローマ人はぶどう畑の拡大を担い、栽培地域を北方へ広げワインはより身近なものとなった。しかしながらその拡大過程で、水で割ったワインを意味するVinumと純粋なワインを意味するMerumという言葉が生まれたように、今日見られる産地による品質の差が必然的に生まれた。

中世トスカーナの農園

中世に入りワインづくりは修道院と修道士により蘇った。このようなワインの歴史は我々の来し方を理解するためにとても重要なことだ。

ピエールデクレシェンツィ1233–  1320年没)は既にブドウ品種ごとに葉や房の形が違い、味や熟成のポテンシャルも変わってくる事を記していた。通商国家の雄であり、オリエントへの玄関口であったベネツィア共和国はワインとそれぞれの原産地について膨大な知識を集積した。中でもマルヴァジアに関する研究は瞠目に値する。さらに1593年に婚姻政策によりフランス王家へ嫁いだカトリーヌ ドゥ メディシス(カテリーナディ メディチ)は彼の国にフォークの使用に代表される食事のエチケット、ワイン文化と芸術をもたらした。                                                         長い歴史をかいつまんで思い出すだけでも、イタリアにはこれだけ多くの誇るべき文化的遺産がある。  一方、今の我々はどうであろうか。私は少なくとも過去30年もの長い間、ブドウ作りとワイン作りの動向と学校教育に何が起きているのかをつぶさに見守って来たが、その両方において何かががうまくいっていないと確信するに至った。今や過去を振り返ることもなく、イタリアが世界に誇るべき歴史や文化を忘れ、その中で育まれた伝統の職人技を軽んじている。その一方でますますフランスワインが幅を利かせるのに飽き足らず、用語も品種も、栽培から醸造までもフランス一辺倒という有様だ。ワイン生産者やワイン専門家の中でも、フランスを持ち出して一角の人物を気取る輩が必ずいる。ボルドーもしくはその近隣のぶどう品種を喜んで栽培する一方で、自分が生まれ育った土地の歴史やそこで育まれた固有品種については考えもしない。要するに偉大な歴史を忘れ、経済的な長期の展望を持てないため、将来本当に価値あることを見抜けないのだ。一方、フランスではイタリア原産品種はほとんど栽培されていない。      わずかにトレッビーアノがユニブランと呼ばれ、蒸留用としてコニャック生産地域であるシャラントで栽培され、サンジョベーゼがコルシカ島に根付きニエルッチョと名を変え栽培されているくらいだ。

もう一つ顕著な例として、今や考えもしないような所でさえテロワールという言葉がしばしば使われることが挙げられる。まだ駆け出しからベテラン生産者はもちろんのこと、ワインを語る際に多くの人が使う言葉だが、実はこれもイタリアの大きな遺産なのだ。テロワールと名のついた研究会では、招聘される参加者はウッセリオトンマゼット教授曰くフランスの研究者だけだが、そこではボルドーのカベルネやメルローのこと、香りづけ目的の樽の使い方、様々な種類のチップや新しく出た添加物をどう使えば劇的に香りがよくなるかといった、テロワールとは無関係の技術的なことだけが10分に一回は「テロワール」という言葉を使いながら語られる。
 かつて私はOIVの一代表としてフランスの同僚学者やこの世界の専門家たちと科学的、そして文化的な意見交換を数多く重ね、実に充実した時を過ごした。その間、フランス国立農業研究所の  クリスティアン アセラン氏の研究チームが、古代ローマ人はTerritorium(テリトリウム気候、土地、ぶどう品種、人々の性格や習慣などからなる総合的な地域の独自性)という概念をすでに持ち、それを認識していたということを発表した。誰一人考えもしなかったそのような難しいテーマに挑んだ研究者たちは大きな賞賛に値する。徐々に資金が乏しくなりその後の研究は続かなかったもののテリトリウムというローマの遺産はテロワールというフランス語に「変換」され、さながらフランス生まれの人気ブランドのように広がって、至る所で使われる言葉となったのだった。
 ぶどう栽培に話を戻そう。フランスワイン界が非培養法、つまり畑の土壌にも残留する危険な除草剤を 用いての完全除草を国策として取り入れ、他国にも輸出を試みた。専門家の支持はあったものの、幸いにしてイタリアへの導入は限定的だった。あらゆる種類のゴミがシャンパーニュの畑に散布された例もある。イタリアでもその頃にはほぼ同じような試みをしており、浸透性の殺菌剤、殺虫剤、防ダニ剤の導入が始められていた。一方、私がパドヴァ大学のイヴァニッチガンバーロ氏の研究とその教えを知り、スイスのシャンジャン連邦研究所のバッジョリーニ博士、バイヨー博士、シミット博士と連絡を取り始めたのは70年代の終わり頃だった。この研究所は、敢えてラテン語を使うが、テリトリウム(地域)の自然環境への負荷と資源浪費を抑えた調和の取れたブドウ栽培を提唱した最先端の機関であった。また健全で汚染のない環境から生まれる食品の重要性いち早く認識していた機関でもあった。
私は草食性ダニの生物的防除の研究のため捕食性ダニを集めモンペリエにあるENSAMダニ研究所のセルジュクレイテール氏に送った事があったが、彼らはまだ研究の入り口であった。いかに我々の研究が進んでいたか分かるであろう

トスカーナのブドウ畑の景観

私は何も本筋から逸れ、悪口を書き連ねたいのではなく、まだ深い眠りについている方々にそろそろ目覚めて欲しいのだ。

今日フランスにはAssociation des Vins NaturelsLa Renaissance des Appellations,Vins S.A.I.N.S. など多くの確固とした組織がある。一方、我々は過去から受け継がれた長い歴史もその遺産も忘れるという文化的退廃をいつまでも続けているつもりなのか。 ワイン造りで何のバックグランドもないような知ったかぶりの人や実業界の成功者が「自然派」と言われるようなワイン生産者のグループを率いていては団結どころか、自然なワインの世界がバラバラに崩れてしまうだけだ。歳を取るにつて、我々イタリア人の多くは思考方法に何らかの問題があることに気が付いた。こういうことは残念ながら大人になってから気がつくのだが、明らかに学校教育に問題があるのだ。この点についてもう少し深く考えてみたい。フランス的な考え方は、デカルト的な方法に則り、全てを疑うことから初めて真理に到達しようと試みる。     つまり定義、テーゼ、アンチテーゼ、結論という順番だ。   一方、典型的なイタリア的な考え方は、仮説実験という方法などではなく、主義や仮定へのイデオロギー的な同調を求めるというやり方で、これでは思想は捻じ曲げられ、真理とかけ離れることもあり得る。            私たちはこれまでの歴史の中で、枚挙にいとまがいほど多くのイデオオロギーに与してきた。

 私の考えをまとめう。                                    まずは高度に組織化され、国として団結し高い専門性を誇るフランスのワイン産業界に大きな賞賛を送りたい。そのフランスから学ぶことは常に必要だが、単に真似をするだけでは有害でしかない。フランスから学ぶことにイタリア的な独創性を少し加えるだけで彼らを超えることは十分に可能だ。これほど多様で、地域ごとに特色あるワインを生み出せる国はイタリアをおいて他にはない。その大きな価値がこれだけ身近なところにあるということに我々は気づいてさえいないのだ。

次に挙げるように、イタリアには経済的にも独自のアドバンテージがあり、それを有効活用して行かなければならない。

  • 地域に根付いた数多くの原産品種。
  • 歴史と文化に彩られた、洗練されたモザイクのようなブドウ畑の景観とそこから生まれる多様な ワイン
  • 中規模、大規模ワイナリーにもあるが、とりわけ経験を積んだ腕の良い小規模なワイン生産者の持つイタリアならではの職人的な専門性。
  • 地域ごとの多様で自然なワインと、健全な自然に恵まれたワイン産地で多角的に広がるイタリア独自の事業や産業。

これらのアドバンテージを活かしてイタリアワインの世界が大きく発展することを願っている。

シチリア州パンテッレリア島のジビッボ種の畑。ユネスコ自然遺産でもある。

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